マラウイの難民キャンプ – その実態に迫る
難民キャンプ
難民について、あなたはどう思っているだろうか?
UNHCRによると、世界には2590万人の難民がいるという。
それでは「難民」とは一体誰か?
1951年の「難民の地位に関する条約」では、「人種、宗教、国籍、政治的意見やまたは特定の社会集団に属するなどの理由で、自国にいると迫害を受けるかあるいは迫害を受けるおそれがあるために他国に逃れた」人々と定義されている。 ー UNHCR Japan
難民への偏見
改めてもう一度。
難民について、あなたはどう思っているだろうか?
彼らは危険なのか、あるいは無害だろう?
とげとげしいのか、又はつつましいだろうか?
失礼な人々なのか、あるいは礼儀正しいのだろうか?
彼らがどこの出身者であれ、結局はその人による、と私は思う。
何故、そう言い切れるか?
それは、私が実際にマラウイの難民キャンプを訪問した際、彼らが「難民の人々すべてを一括りにすることは出来ない」ということを、身をもって教えてくれたからである。
キャンプ訪問のきっかけ
マラウイの首都リロングウェからそれほど遠くない所に、難民キャンプがある。
私の友人がそこでボランティア活動をしていた背景があり、私は友人とその地を訪問することができた。
さもなければ、私は一般人が難民キャンプを訪問できることすら知らないままであっただろう。
現地を訪問する前は、難民に無視されたり、更には悪態をついたりするのではないかと思っていた。しかし、彼らは愛想良く挨拶をしてくれ、快くキャンプ内を案内してくれた。
私の彼らに対する偏見はそれだったと、その時気付いた。同時に、偏見の浅はかさを痛感した。
難民キャンプの中へ
キャンプの中心には地下水の給水場があった。現地の母親たちは、他の国々の母親たちと同様、衣服の洗濯に追われていた。
他の世界との大きな違いは、彼女たちはお互いに助け合い、洗濯の合間ですら近所の親たちと会話に花を咲かせていたことである。
私の祖国では、特に大きな街では、近隣の人の顔を知らなければ、見ることもない。
最悪の場合、お年寄りの方々は、誰にも知られずにその生涯を終える。配達員が、ポストに数週間放置された新聞を見て、彼らの孤独死に気づくようなケースもあるくらいである。
難民の実態 – 大人と子供
キャンプには色んな人がいた。
例えば、元は数学の教師をしていたが、内紛により家族と共に亡命をせざるを得なかった男性。
また別の女性は、小さなお店を経営していたが、先述の男性と同じ理由により、姉妹と共にマラウイへと逃げてきた。
彼らの誰もがみな、難民になることなど予想すらしていなかった。ただ、不可抗力により、難民にならざるを得なかったのである。
大人だけではなく、たくさんの子供たちもいた。
海外からの訪問者を見るのが嬉しそうな子もいれば、怖がっている子たちもいた。
私たちの後をついてきた子たちは、誇らしげに彼らのおもちゃを見せてくれた。中でも、手作りの凧で遊んでいる少年には驚かされた。彼が天高くまで凧を飛ばそうとしているのを見ていると、まるでいつかその少年も世界へと飛翔していくことを暗示しているように見えた。
下の写真は私のお気に入りである。
おもちゃのギターそのものは音を奏でることができないが、誇らしげにそれを持つ少女を見ているだけで、既に素晴らしい音色が聞こえてくるようであった。
幸福は心より出でて相を飾る。人相とは、それである。
大学時代の恩師が「子供たちは未来からの使者である」とよく言っていた。
要するに、彼らは良い方向にも、悪い方向にも、世界を変革できる計り知れない可能性を秘めているという意味。それはナイフのようなもので、例えば、ナイフを料理に使えば役に立つ道具になるが、誰かを傷つけるために使えば危険なものとなる。その道しるべとなるものが、教育であるべきである。
生きる力
ともあれ、キャンプの子供たちを見た限り、彼らは私の幼少期と比べるとまるで違う点があった。
私は常に世の不公平を恨み、夢など持ったことがなかった。ただ漠然と嫉妬だけがあった。しかし難民の子供たちは、不貞腐れなどせず、夢と希望を持っていた。
あるいは単に私がそう信じたいだけなのかもしれない。
しかし、彼らの澄み切った眼と満開の笑顔は、この人間味のない現代社会において、彼らはある種の希望であると感じさせるものがあった。私たちが成長する過程で忘れ去ってしまったことを、彼らは思い出させてくれた。
世界の人々も難民に対してネガティブな偏見を持たないことを願う。
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Refugee camp in Malawi
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