短編小説:マルボロ

33

弟くんが亡くなってから1週間、俺は久々にミナミへ繰り出し、コブクロの扉を開けた。

「いらっしゃいませー!」

ノリの元気な声が響いた。店内に他の客はいなかった。

「あ、すみません」

入って来た客が俺だと気付いたノリが、悲しそうな表情で謝ってきた。

「おう、相変わらず元気だな」

「元気だけが取柄ですから。あの、元気な声で、すみません」

言葉は下手であるが、弟くんが亡くなった件で俺に気をつかったのだろう。

「何言ってるんだ、居酒屋の店員は元気なほうがいいだろ」

俺は笑いながら言ってカウンターに腰を下ろした。

「いらっしゃい。色々大変だったな」

カウンターの中の厨房から、おしぼりを渡してくれながら藤原さんが言った 。

「そうですね」

「まあ、ありふれた台詞だが、あまり気を落とし過ぎるなよ。お前が気を落としてたら、弟くんも悲しむぞ」

「そうですよね。生ビール、お願いします」

「あいよ、生一丁」

藤原さんはノリに向かって言った。

「しかしあれだな、ニュースで見たけど、自殺だったんだって?」

「そうらしいですね。ほんと、可哀想です」

弟くんの死因は自殺だった。それも、焼身自殺。遺体は入院していた病院の裏山で見つかったそうだ。

弟くんが亡くなった翌日、新聞やテレビで大々的に取り上げられていた。俺が観たニュース番組にゲスト出演していた心理学の専門家が言うには、焼身自殺とは、よほどの憎しみがある人間が選ぶ自殺の手法だそうだ。きっと弟くんは、放火犯と疑われてやりきれない想いだったのだろう。

「おまたせしました」

ノリが静かな声で、生ビールを置いてくれた。

「ああ、ありがとな。て言うかお前、いつもみたいに元気な接客してくれよ」

「いや、何か気をつかってしまって」

「お前の接客に救われる事もあるんだ。お前を見ているとこっちも元気を貰えそうな気がするからな」

「そうですか!じゃあ、そうします!」

ノリは急に元気な声になった。素直と言うか単純と言うか、とにかくいいやつなんだと再認識できた。

「とりあえず、これ食うか」

藤原さんが茄子の一本漬を置いてくれた。

「あ、頂きます。ありがとうございます」

それから1時間程、俺は1人で飲んだ。1人と言っても藤原さんやノリと喋っていたので、寂しい酒ではなかった。その間、他の客が入って来る気配はなく、今日のコブク ロは俺の貸切状態だった。俺が4杯目の生ビールを口にしようとした時、携帯が鳴った。大道からだった。

「おう、何だ?」

「お前今何してる?」

「ミナミで飲んでるよ」

「1人でか?」

「ああ、そうだ」

「何て言う店だ?他に客はいるか?」

「コブクロだよ。他の客は、いないな。どうしてだ?」

「コブクロか。そこならいいか」

「質問の意図がよくわからないが、何だ?」

「とりあえず、行くわ。10時半には着くと思う」

「なんだかよくわからいが、了解だ。待ってるよ」

俺はそう言って携帯を閉じた。店内の時計に目をやると、10時12分だった。

「何だ?友達か?」

藤原さんが言った。

「友達です。ここにも何度か連れて来た、大道です」

「ああ、府警の子か、そうか そうか。今日のこのどうしようもない売り上げに貢献してくれるって事だな」

藤原さんは笑いながら言った。その言葉や表情には、いやらしさや不快感は一切なく、素敵なものだった。

34

俺が4杯目の生ビールを空にし、麦の水割りを注文した時、店の扉が開き冷たい空気が漂った。大道だった。

「いらっしゃいませー!」

ノリの元気な声が店内に響いた。大道の表情が少し歪んだように見えた。おそらく、右の鼓膜にちょっとした痛みが走ったのだろう。大道はノリに「どうも」と言うような仕草を見せてから、俺の右隣へ腰を下ろした。

「よう、早かったな」

「ああ、すぐ近くにいたからな」

「で、電話の質問は何だったんだ?」

「ああ、あれな。ゆっくり話すよ」

「いらっしゃい」

藤原さんが大道におしぼりを渡しながら、笑顔で言った。

「どうも。生ビール、お願いします」

「あいよ、生一丁」

大道は受け取ったおしぼりを広げ、ゴシ ゴシと顔を拭き始めた。

「で、何なんだよ」

「まあ、急ぐな。とりあえず喉が渇いているんだ」

大道は顔を拭きながら言った。

「その台詞とその動作はこの季節に似合わないぞ」

「お前と違ってこっちは仕事帰りなんだ、季節関係なく喉は渇くし汗もかくんだよ」

「それはそれは」

一通り顔を拭き終えた大道が、おしぼりを畳んでカウンターに置き、言葉を発した。

「今日も色々あって大変だったんだぞ」

「知らないよ。まあ、府民の税金で生活しているんだから、色々頑張ってくれ」

「そう言うやつが一番嫌いだよ、俺は」

「お待たせしました」

ノリが元気な声で、生ビールと麦の水割りを持ってきてくれた。俺達はグラスを軽く合わせてから、各々のドリンクを各々のペースで 各々の口へ運び、ゆっくり体に流した。大道に話を聞こうとしたが「とりあえず注文しよう」と言うので適当に注文した。

店内は貸しきり状態と言う事もあってか、時間がかかる事もなく注文した料理が次々と並べられた。

俺は水割り、大道は生ビールを飲みながら、注文した料理を味わった。一先ず俺は、大道の脳が一旦食べ物から離れるのを待った。料理を一通り胃に放り込むと、やっと大道の脳は食べ物から離れたようだ。大道はセブンスターに火を付けてから、ゆっくりと口を開いた。

「この前、人が死んだだろ」

「焼身自殺の件か?」

「ああ、それだ」

「それがどうした?」

大道はセブンスターの煙を肺に入れ、肺に入れた煙を吐き出し、生ビールを1口含み、ゆっくり体に流してから 言葉を続けた。

「あれな、自殺じゃなく、他殺かもしれない」

「え!?」

俺は大道が言った言葉の意味を、すぐに理解する事はできなかった。

35

「どう言う事だ?」

俺はマルボロに火を付けてから質問した。

「普通な、焼身自殺ってのは、右足か左足、それも膝より下が一番よく焦げているもんなんだ」

「どうして?」

「お前、焼身自殺ってどんなイメージだ?」

「灯油か何かを体中に掛けて火を付ける、てなイメージだが」

「おう、その通りだ。じゃあもう一つ聴くが、体のどこに火をつけると思う?」

「いや、それはちょっとわからないよ」

「普通は右足か左足なんだ」

「何でだ?」

「いくら死ぬ覚悟がある人間でも、いざ本当に死ぬ時はいきなり顔や心臓に火をつけたりはしない。顔から一番遠いところ、つまり足に火をつけるんだ」

「ほう」

「しかし、今回の焼身遺体は、右肩が一番焦げ ていた。それどころか、足にはほとんど焦げた跡がない」

「右肩?」

「ああ。つまりな、誰かが意図的に火をつけた可能性が極めて高い」

「そうなのか」

「それともう一つな、普通は遺体の近くに酒やつまみ、弁当の空箱なんかが散らばっている事が多いんだ」

「死ぬ直前の最後の晩餐、ってやつか?」

「そうだ。しかし今回の遺体の近くには、それらしき物は何もなかった」

「なるほどね」

俺はマルボロを消し、水割りを1口体に流してから、大道に尋ねた。

「で、犯人の目星は付いているのか?」

「いや、それが全く」

「そうなのか」

「そんなところだ、今日お前に話したかった事は」

「そうか、わざわざありがとな。ところで、他殺の可能性があるって話は、被害者の親族 は知っているのか?」

「ああ、知っている。この事を知っているのは、被害者の親族と警察、後はお前だけだ。」

俺は藤原さんをチラッと見た。その視線を感じてか、藤原さんが口を開いた。

「安心しろ、俺もノリも、何も聞いていないよ」

続いて俺は、ノリにも視線を向けた。ノリは「誰にも言いません」と言うような表情で、ゆっくりと一度、頷いた。

「ちなみち被害者の親族は母親と兄だけでな」

セブンスターの煙を吐きながら、大道が言葉を続けた。

「知ってるよ」

「ん?どうしてだ?」

俺は、俺と前田の関係や、弟くんが亡くなった数日前に前田から相談を受けた件等を、簡単に話した。大道は「そうだったのか」と言って生ビールを口に運んだ。

それからしばらく、俺と大道 は沈黙のまま酒と料理を味わった。注文した料理の殆どを食べ終えてから、俺はマルボロに火を付け、煙を1口肺に入れてから、言葉を発した。

「なあ、おい」

「ん、何だ?」

「前田はさ、今いったいどんな気持ちで、毎日を生きているんだろうか」

「・・・さあ、それはちょっと、俺達にはわからないんじゃないか」

「・・・そうだよな」

前田のことを考えると、まるで思考回路が停止したような気分になった。マルボロの煙も、どこか寂しげな様子で空気中に溶け込んでいったように見えた。

 

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