アフリカの空手ボーイズ – 宇宙の可能性
空手ボーイズ 第三弾
これまでアフリカの空手ボーイズの奮闘記(第一弾、第二弾)を綴ってきたが、ここでは彼らとの何気ない会話から感じたカルチャーショックについて紹介したい。
日本人として、日本で生活しているうちは、ほとんど意識しなかったことだからこそ、あえてそこに焦点を当て、見識を広めるきっかけになればと思い、共有することにした。
・第一弾「空手を教えてください! – アフリカの空手ボーイズ」
英語版「Teach me Karate! – African Karate Boys」
・第二弾「アフリカの空手ボーイズ奮闘記 – Karate is for self-defense」
英語版「Karate Boys in Africa – Karate is for self-defense」
1. 人種の違い
私が訪問したアフリカ諸国は昔白人に支配されていたせいか、“肌が黒くない”ということに羨望する人が多かった。年ごろの女性の中には、
「黒人以外と結婚して、ハーフを生みたい」
と平気で言う人もいた。
私は職業柄、子どもと接することが多かったが、子どもからそうゆう発言を聞いたことはなかった。年を重ねる毎に何かを知る一方で、何か大切なものを忘れていくのだろう。
写真:純粋無垢なバレーボール少女とごく普通のアジア人
私が空手を教えていた生徒(通称、空手ボーイズ)の中にも一人いた。ここでは彼を空手ボーイNと名付けよう。
ある日、練習の休憩中、空手ボーイNは言った。
「こんな色でなければ良かったのですが…」
「何の色ぞ?」
「肌の色です、センセイ」
そよ風が木の葉を揺らすが如く穏やかな私の正拳突きが、空手ボーイNの脇腹にめり込んだような手ごたえを感じた。
しばらく、まともに呼吸できないだろう。そう思った。
しかし、彼は平然と続けた。
「黒いというだけで、ネガティブな印象を持たれます」
彼は体をひねって衝撃を流していたらしい。
これは、実際に拳を交える練習でしか習得できない身のこなしだった。それを極めたものが「捌き」と呼ばれる技となる。格闘技において、痛みは意味を成す。
私はこのときまで、空手ボーイズも肌の色について劣等感を感じていることを知らなかった。冷たい針が、心臓の裏に刺さったような感覚を覚えた。
村の99%は黒人だった。たまに村に現れるカナダ人の看護士と中国人の土木技師、そして私以外はみんな黒人だった。
これまで黒人以外の人種を見たことのない子どもは、私を見て泣き出すほどだった。それはそれで、私にとっては面白かった。
私は彼に問い質した。
「どこの、どいつや?」
「〇〇村の、Nと申します」
空手ボーイNは、彼自身の出身地と名前を答えたようであった。私は、彼が差別を受けたと思い、その相手がどこの誰なのかを聞いたつもりだった。
一人で勝手に、はらわたが煮えくり返っていた。容赦はしない。そう思ったが、空手ボーイズの純粋さは、そんな私の闇を一瞬で晴らしてしまう力を持っていた。
アンネ・フランク曰く
「たった一本のロウソクがどんなに暗闇を否定し、その意味を定義することができるのかを見てください」
Look at how a single candle can both defy and define the darkness.
とある。
彼らから学ぶことは、たくさんあった。教えているようで、教えられていたのである。
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