アフリカの空手ボーイズ奮闘記 – Karate is for self-defense
2. 努力の証
学校での業務が終わり、いつも通り帰路へと就いた。遠くの方から、白い歯を見せて笑っている少年が歩いてきた。
「センセイ!私のことを覚えていますか?」
彼は言った。
「お前、どこの砂利ハゲぞ?」
とは言ってみたものの、なんとなく見覚えのある顔だとは思った。
彼は拳を突き出して言った。
「約束通り、毎日続けてきました」
空手ボーイAだと、その時に思い出した。既に何かを達成したかのような、純粋な笑顔を浮かべていた。色心不二とは良くいったものだ。
しかし、約束の期間は1か月だったはず。私は彼にこの数か月何をしていたのか尋ねてみた。
「われ、この数か月何をさらしとったんどい?」
「農業の方が忙しくて、学校に来れませんでした」
ザンビアでは、よくある話である。
農家ではなくても、一般家庭で畑を持ち、家畜を育てているのは当たり前。子どもは親にとって貴重な労働力なのである。
中には「子どもは年金」と豪語する親もいた。なるほどアフリカではたくさんの子どもを生むわけである。
「お母さんは、元気か?」
「はい、センセイ」
「それは良かった。お前のような漢に育って、お母さんは誇らしいと思う」
「漢」の定義
読み方は「おこと」でも「眼の奥に生き物のような光を宿す人」を意味する。それは天空をも突き抜ぬける熱い志で、どんな困難にも負けない老若男女を指す。ー世界の漢塾
家族の為に畑を耕す少年が、日本にはいるだろうか?
ふと、そんなことを考えた。
例の約束だが、空手ボーイAが拳立伏せをこなしてきたのかは、その拳を見れば一目瞭然であった。
後に撮影した空手ボーイズの手。
子どもが畑仕事をするのは、ザンビアでは珍しくない光景だ。彼らが難なくこなしているので、はたから見ていると、大したことのないように見える。
しかし、私も実際に手伝ってみたが、日本で平穏に育ってきた私には、毎日続けられるような作業ではなかった。
アフリカの日差しは、肌を刺すように強く、痛い。そんな中、素足で重たい鍬を振り上げ、土を掘り返していく作業は相当に辛い。彼の言ったように、確かに勉強どころではない。
そんな重労働の後に、本当に宿題を「毎日」続けたかは別として、努力していたことは伝わってきた。そして数か月が経った後でも、約束通り戻ってきたのは賞賛に値する。
「青春の夢に忠実であれ」
Be faithful to the dream of youth.
とある。
私には、空手ボーイAの眼の奥に、きらりと光る生物のようなものが見えた。
いや、元々そこに宿っていたのだろう。私がそれを見ようとしていなかっただけかもしれない。
久しぶりに、ただはっきりと、心の内側から全身へと駆け巡る熱いものを感じた。
次ページ:アフリカの若き力