アフリカの空手ボーイズ奮闘記 – Karate is for self-defense

アフリカの空手ボーイズ、第二弾。

前回はアフリカの空手ボーイズとの出会いについて述べた。

家まで押しかけてくる現地人

初対面で稽古の申請

数百人の候補者からの選別

何もない大草原に作り上げた道場

思い返すと当時の複雑な気持ちが蘇ってくる。


第一弾「空手を教えて下さい! – アフリカの空手ボーイズ」を読む


数百人の中から、最後まで練習に付いてこれたのは5人だけだった。

そのうちの一人、空手ボーイAについて特に書きたいと思う。

ちなみに私が住んでいた国はザンビア。

ザンビア共和国(ザンビアきょうわこく)、通称ザンビアは、アフリカ南部に位置する共和制国家イギリス連邦加盟国のひとつである。かつてはイギリス北ローデシアであった地域で、内陸国でありコンゴ民主共和国タンザニアマラウイモザンビークジンバブエナミビアアンゴラボツワナの8つの国に接している[3]。首都はルサカ2013年GDPは約224億ドルであり[4]島根県とほぼ同じ経済規模である[5]2012年に発表された世界平和度指数ランキングでは158か国中51位となり、アフリカでもっとも平和な国の一つとして評価されている。出典:Wikipedia

 

1. 漢の約束

あれは、家の前の小道だった。彼が最初に

「空手を教えて下さい」

と言ってきたとき、私は断った。どうせすぐに諦めると思ったからだ。

平和な国ザンビアで生まれ育った子ども達は、親に殴られたことすらない。私の優しい膝蹴りを膵臓にくらい、その日以降姿を見せない生徒は後を絶たなかった。

実戦では「痛い」と言っても、誰も耳を傾けてはくれない。「待ってくれ」と言っても、敵は待ってくれない。

相手が凶暴であるほど、それ以上に強くなるしかない。大切な人を守りたいのであれば、想像を絶する痛みを乗り越え、日々鍛錬を積んでいく他に道はない。それが、武の道を歩むということである。

「おうちで宿題でもやっとけや」

そう言うと彼は潔く帰っていった。諦めの良い奴だと思った。

数日後、またいつものように

「空手を教えて下さい」

背後から声をかけられた。このセリフには、少しうんざりしていた。村のほぼ全ての子どもたちが、私の顔を見るなり言うセリフである。

彼らはアジア人はみんな空手やカンフーが出来ると思い込んでいた。ジャッキー・チェンジェット・リーの影響であることは言うまでもない。

私は、煩わしい気持ちを抑えつつ振り返った。空手ボーイAだった。

「彼女でも作れ」

私は彼に言った。

人には、自分が大事だと思い込んでいる以上に、他に大事なものがあったりする。ただ、遅かれ早かれそれに気付くかどうかの違いだ。この際、一思いに教えてやった方が良い。

自分でも「これは違うな」と察すると、すぐに次の行動に移る機動力は人生において重要だ。

しかし空手ボーイAは苦笑いを浮かべ、言った。

「彼女ができたとしても、僕の行きたいところには連れてってくれません」

その意味することが、私には分かったような気がした。私も苦学生の頃は、よく悩まされたものである(詳細はこちら)。

この子も、自分と似たような経験をしているのかもしれない。そう思った。

エイブラハム・リンカーン曰く

「実現できる、やり遂げるのだ、と決断せよ。方法を見つけるのは、それからだ」

Determine that the thing can and shall be done, and then we shall find the way

とある。

本当に腹を決めた人間は、たとえ逆風に吹かれてようとも、その鋼の信念は曲げないものである。

そこで、私は彼に宿題を与えることにした。今度は学校の宿題ではなく、私からの宿題だ。

「拳立て伏せを50回、開脚ストレッチ、それぞれ毎日欠かさず、1か月間続けられたら、俺のところに来い」

「はい、センセイ!」

空手ボーイAは満面の笑みで言った。

正直、私は微塵も期待していなかった。むしろ諦めさせるために言ったようなものである。

大きな目標があったとしても、結局は地道に努力するしかない。その地道な努力を続けることが、実は難しいのだ。やる気のない人間は、1か月も続けられない。

それに私は既に3人の生徒を例の大草原道場(上の写真)で空手を教えていた。当時の本職は理科教員だったため、今更新しく空手の生徒を増やそうとは考えていなかった。

そして数か月の月日が経った。

空手ボーイAのことなど、忘却の彼方へと消え去っていた。

 

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