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学校の遠足に参加できない…

私の内なる声が「なるほど、常にお弁当が日の丸なわけだ」と言っていた。それだけではない。

18歳になるまで、6畳1間に男兄弟3人で生活していた。自分一人だけの部屋など、経験したことがなかった。一人が部屋の真ん中に寝転べば、他の二人は隅っこに座ることしかできなかった。夜に寝るときはコの字になって寝た。

中学校で野球部に所属したが、グローブやスパイクなど、全て従兄弟のお下がりだった。

誕生日やクリスマスなど、何の意味もなかった。友達がどんなプレゼントをもらって、いくらお年玉をもらったかなんて、聞きたくもなかった。

テレビゲーム、ビデオ、漫画など、全て友達の家でみるしかなかった。

中学生のときに祖母から頂いたセーターは、社会人になるまで使い続けた。

大学受験の時、予備校に行けず、家に帰っても勉強できる空間がなかった。遅くまで学校に残って勉強するしかなかった。

他にもたくさんあるが、それらはまた別の機会にとっておこう。

ある日、14歳くらいの頃、兄弟で「どうしてこんなに貧乏なのか?」と話し合ったことがある。

我々の未熟な答えは「両親」であった。

そして「どうすれば家族を変更できる」のか、その答えを見つけるべく近所の図書館へ本を探しに行った。インターネットなど普及していなかった時代、情報は本や新聞から集めるのが常識だった。

当時、夏休み。日光が燦々と照りつける中、頑張って自転車をこいだ。

図書館は冷房が効いていて、気持ちよかった。

しかし、どこにどんな本が配置されているかなんて、検討も付かなかった。そもそも「家族変更」の手続きが書いてある本など、一体どんな分野なのかすら分からなかった。

結局、我々はお目当てのものを手に入れることなく帰路に就いた。

少年ながらに考えた当時の最善の策は、振り返ってみるとバカげたものではあるが、今となっては笑い話である。また、そのような環境で育ったため、兄弟同士お互いに助け合い、非常に仲良くなることができた。

艱難に勝る教育はない。

とは言うものの、やはり貧困には勝てなかったこともある。私は、あることを諦めてしまったのだ。

 

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1件の返信

  1. 17/10/2017

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