私について – サプライズな情報をお届け
3.学生時代
経済的に色んな大学を受験できる余裕が無かったため、幸か不幸か、受験できたのは一校だけだった。そのおかげで、受験対策は徹底的に集中できた。
数学と物理が得意だったので、理系の大学へと進学した。
新入生の私は、希望に満ち溢れていた。全てをここから変えていけると、信じていた。学問を極め、研究者となり、貧困から抜け出せると思っていた。
何の根拠もなく、大学へ進学すれば、自分は勝手にそうなるもんだと思い込んでいた。
入学1年目と2年目は、大学の寮で過ごすことができた。
寮は、10人で1つの大部屋だった。その大部屋の中に、ベニヤ板で10人分の仕切りがある簡素な造りだった。個々の空間への入り口はカーテンを閉じることができ、一応のプライベートは保たれていた(下図参照)。
寮での生活は、予想を遥かに超えて快適だった。
何でも語り合った。これまでのこと、これからのこと。現在打ち込んでいることなど。人生最高の友人ができた。感謝してもしきれないほどの友情に恵まれた。
しかし、現実はそう甘くはなかった。
私は奨学金を借りてはいたが、学費と家賃などの生活費の両方を支払うには十分ではなかった。
それに加え、両親には祖父が遺した巨額の借金があり、その返済を助けるために仕送りをする必要があった。
学業の合間を縫って必死で働いた。昼間はパチンコ店、深夜は清掃業のアルバイトを掛け持ちした。
睡眠時間が4時間以上を超えた日の方が少なかった。さもなければ、授業についていけなかった。
セメスターが代わり、新しい授業に行くときは、心が痛んだ。何故なら、その授業の教材を買えなかったからだ。なるべく、先輩から譲り受けるようにした。
お腹が空いたときは、水道水をたらふく飲んだ。不思議と、美味しく感じた。空腹は最高のソースとは良くいったものである。
こんな私でも、恋人はできた。しかし、どれも長くは続かなかった。
週末は全てアルバイト、たまの休みがあったとしても、疲れ切っていた私は、デートに出かけるよりもむしろ家で寝ていたかった。
デートに行くにしても、かならず安上がりなファミレスやファーストフードだった。世間一般の女性が求める理想の彼氏とは、程遠い男だった。申し訳なかったが、それが当時の私の全力だった。
悔しかった。
その悔しさは、闘志へと変えた。
眠れない夜は、深夜であろうと、ランニングへ出かけた。公園でシャドウをした。空腹だったが、いつでも腸は熱くなった。弱い自分を殴り倒すかのように、一心不乱に影の自分と戦った。
友人から多くの協力を得て、何とか大学を卒業することができたが、 修士過程は経済的に諦めざるを得なかった。
この瞬間、私の「研究者」となる夢に終止符が打たれた。
私の恩師が「大学は大学に行けなかった人の為にある」と言っとき、当時は理解できなかったが、今となってはその意味がよく分かる。
人生最大の挫折だった。
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