短編小説:マルボロ
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午前9時、久しぶりにすっきりした目覚めだった。
昨夜コブクロで飲んだ後大道が帰ると言ったため、なんとなく俺も帰る事にしたのだ。目覚めがすっきりしている理由は、昨夜摂取したア ルコールの量が少なかったからだろう。もちろん、すっきりしているのは体だけで、気持ちはもやもやしたままだった。
俺はこたつの前に移動し、マルボロを味わった後、コップ一杯の水を体に流し、歯を磨き、寝癖を直し、ジーンズにトレーナー、ダウンジャケットを羽織り家を出て、タクシーを拾って図書館に向かった。
図書館に着いた俺は、弟くんが亡くなった翌日の新聞を全て広げ、記事を読んだ。どの新聞にも焼身自殺、と書かれてあった。それっきり、その翌日以降の新聞には弟くんの事は何も書かれていなかった。
どうやら新聞社も他殺の可能性があるとは知らないようだ。あとは長野にそれとなく確認してみるか、とも思ったが、それは不要だと判断した。その後地域専門の週刊誌にも目を通 したが、これと言って気になる記事はなかった。
新聞と週刊誌を読み終えると、俺の腹は音を立て、脳は空腹のサインを感じ取ったようだ。俺は図書館を後にし、タクシーを拾い、ツグミに向かった。
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ツグミの扉を開けると、いつもと変わらない風景だった。今日は老人会の集まりは無いようだ。俺はさっき図書館で目を通したばかりの読売新聞を手に取り、いつもと同じように窓際のテーブル席へ腰をおろした。
「いらっしゃいませー」
あっちゃんがおしぼりを持って来てくれた。
「おはよう」
「おはようございます。なんだか今日はいつもと違いますね」
「ん、そうか?」
「はい。なんかこう、目がしっかり開いていると言うか」
「いつもどんな目をしてるんだよ、俺は」
「いつもはもっとこう、眠たそうな目ですよ」
「そうか。坂本龍馬みたいな感じか?」
「うーん、そんな感じですかね」
あっちゃんは「よくわからない」と言ったような表情を浮 かべたが、すぐに愛想の良い笑顔で話を続けた。
「ご注文はいつものですか?」
「そうだね、いつもので。ありがとう」
「はい!」
あっちゃんはおでこに右手を当てた後、厨房へオーダーを通しに行った。
注文した物を待っている間、目を閉じ今日一日のプランを考えてみた。が、これと言って良い案は思い浮かばなかった。とりあえず、日が沈んでからシュプロスへ行こうと決めた。岡西と一緒に飲んで以来、顔を出していないからだ。もう一週間以上行っていない事になる。これは俺にとって大変珍しい事なのだ。
「おまたせしましたー!シングルモルトのロックとたまごサンドと朝のサラダでーす」
相変わらず愛想の良い、素敵な笑顔だ。
「ありがとう。今日もあっちゃんが焼いてくれ たのか?」
「そうです」
あっちゃんは「ししし」と言うような表情で返事をする。
「そうか、ありがとな。頂きます」
「はい!ごゆっくり!」
あっちゃんはおでこに右手を当ててから、厨房の方へ戻って行った。
俺はシングルモルトを一口流し、たまごサンドとサラダを胃に放り込んだ。今日も味に変わりはなく、うまかった。
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ツグミを出た俺は、部屋に戻りこたつの前に座ってマルボロに火をつけた。
時計に目をやると、長針も短針も12を指していた。
シュプロスの開店まであと6時間。昨日からの俺はアルコールの摂取量が不足している。しばらく、1人で飲む事にした。
マルボロの火を消し、立ち上がって冷蔵庫の扉を開けた。部屋は散らかっているが、冷蔵庫の中は綺麗なのがちょっとした自慢である。
生ハムとチーズを取り出し、皿に盛ってからこたつの上に置き、ニッカを直接胃に流した。
寂しさとアルコールが、俺の体の中で拡散するような気分だった。
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いつの間にか俺は眠ってしまったようだ。慣れない早起きをした上に、1人でニッカの瓶を2本も空けては、さすがに眠たくなるものにも納得がいく。
時計に目をやると、短針は3を指していた。外の暗さからして、午前3時なのだと認識できた。俺はこたつの前に座り、マルボロに火をつけ、新しいニッカの蓋を開け、一口体に流してからマルボロの続きを味わった。
携帯を開くと長野から着信が入っていた。かけ直そうとも思ったが、時間を考えて思いとどまった。たまには俺も、これくらいの配慮はできるのだ。
短くなったマルボロの火を消し、寝癖を直して歯を磨き、黒のワイシャツに袖を通して赤のネクタイを結び、黒のカルバン・クラインに身を包み、コートを羽織って部屋を出た。
外はかなり寒く、体が驚いているような感覚だった。
さて、シュプロスに行くとしよう。
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「いらっしゃい」
シュプロスの扉を開けると、優しい笑顔のマスターが言った。
「どうも、お久しぶりです。浜村は、今日はいないんですね」
俺は脱いだコートをハンガーにかけ、カウンターに腰をおろしながら言った。
「さっきまでいたんだけどね。今日は暇だったからもう上がらせたんだ」
「そうですか」
「ああ、今日は1人もお客が来ていないからね」
マスターは笑いながら言った後、言葉を続けた。
「でも、必ずきみが来ると確信していたよ」
「え、どうしてですか?」
「お客が1人も来なかった日は、必ず夜中にきみが来る。今までの経験上ね。まあ、ジンクスみたいなもんだ」
「そうでしたか」
「ああ。このも前そう、友達の・・・」
「岡西ですか?」
「そうだ、岡西くんだ。岡西くんと来た日もそうだよ。きみ達が来るまでお客は誰も来なかったのさ」
「それはそれは」
「で、何を飲む?」
「ギムレット、お願いします」
「あいよ」
マスターは広げたおしぼりを俺に渡してから、シェイカーに氷を落とし、続けてジンとライムジュースを入れ、シェイカーを振り始めた。店内にシェイカーの音が心地よく響いた。
俺は、ショートグラスは2杯まで、且つグラスが汗をかく前に空にすると決めている。酒飲みのちょっとしたこだわりだ。
シェイカーの音が消え、静かな時間が流れた後、マスターがギムレットを置いてくれた。
「はい、おまたせ」
「頂きます」
俺は3口でギムレットを飲み干し、続けてギムレットを注文した。
2杯目のギムレットを口にしようとした時、俺の中で何かの違和感が産声をあげた。それが何なのかはわからない。だが、俺は何か重要な事を知っている。
考えるほどに脳は空回りし、考えるほどに答えから遠ざかっていく気分だった。
持ち上げたギムレットを置き、マルボロに火をつけ、煙を一口肺に入れてから、ギムレットを見つめた。
それから少しの間考え込んだが、これと言って答えに近付く事はできなかった。
グラスが汗をかきそうな気配を感じたため、一気に飲み干した。









