教師が征く 世界の母へ贈る
されど母は強し
このシリーズは、アフリカ・ザンビアの農村部にある学校で奮闘したある漢(自称:サムライ熱血教師)の話である。
その日は5月12日。母の日だった。
リアルガチ本気教師の彼は、去年の母の日を思い返していた。
あれは、確かロールケーキだった。前の職場のマダム(母親)達全員にプレゼントを贈った。
”母は太陽。いつもありがとうございます”
そうメッセージを添えて、職場へ持って行った記憶がある。
普段はそうゆうことを言葉にしない侍にとって、母の日のような日は、日頃の感謝を伝える良き機会である。
あれからもう一年。今年は何をしようか。
いつもお世話になっている近所のマダム達に、ケーキでも持って行こうか。あるいは、やはり生きた鶏の方が喜ぶだろうか。
フランスの有名な詩人、ヴィクトル・ユゴー曰く
女は弱し、されど母は強し
とある。
ザンビアでも、女性は母になった途端に海になる。なんとも不思議な、そして偉大な包容力を発揮する。
例えば、ある日突然、若い独身女性が、親戚の子どもの育ての親となることがある。
近所に住む、サムライ熱血教師の同僚は、その典型だった。
ザンビアのみならず、アフリカ諸国では、経済苦や育児放棄、親の死や失踪により、生みの親と一緒に生活をしていない(できない)子どもは、珍しくない。
そんな状況でも、命を背負った女性は、その瞬間から母となり、強く優しく逞しく、生きて征く。
小さなことだが、言葉や態度が変わる。例えば「何かちょうだい」から「何か食べに来なさい」に変わる。
慈悲の溢れるその眼差しに、孤高の漢ですら心を打たれる。覚悟を決めた人間の、底知れぬ優しさは、枯渇した子どもの心を潤すに、何の理屈も必要ない。
母とは、つまり、生みの親だけを意味するものではなく、育ての親、つまり命を背負った者のこと言う。
彼は、ザンビアに赴任して以来、そう考えるようになった。
日本のモンスターペアレントも扱いようによっては強力な味方になり得るだろう。親が子を想う気持ちに国境はないのだ。
その強すぎる想いを、まだ扱いきれていない。慣れない刀の扱いは、熟練の武士でも難しい。
帰国後、日本で教員になれば、保護者宛てに感謝の手紙を書こう。
彼はそんな想起に耽っていた。
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