教師が征く その時、歴史が動いた
サムライ熱血教師の歴史、ちょっと動く
このシリーズは、アフリカ・ザンビアの農村部にある学校で奮闘したある漢(自称、サムライ熱血教師)の話である。
任期を終えて帰国する先輩達の送別会があった。
何一つ悔いの無い2年間を活動し切ったその雄姿は、まるで戦乱の世を駆け抜けたツワモノのようであった。
そうなりたい、彼はそう思った。
送別会では、以前帰国したメンバーからのビデオレターが上映された。帰国したメンバーが、これでもかと見せ付けんばかりに寿司やてんぷらを食い荒らしていた。
あえて日本が恋しくなるよう意図されたビデオであったが、逆に「自分はアフリカにいる」という実感を湧かせてくれた。
現地の言葉を使い、現地の物を食べ、現地の人と苦楽を共にしている、そんな自分を誇らしく感じた。
色んな人から「活動が順調そうで良いね」的なことをよく言われたが、彼自身がそう感じたことは一度もなかった。
ただ、ほんの小さな変化が嬉しくて、SNSで報告してるだけに過ぎない。
ああでもない、こうでもないと、毎日が反省の連続である。
何かを発言するときも相当な勇気がいる。ましてや苦手な英語である。
何度も何度も、色んなシナリオを頭の中で描いて、最善と思える言動を心掛ける。
そして現地の人の反応をつぶさに観察する。それをひたすら繰り返す。
そこまでしてようやく「眼を凝らさないと気付けない様な小さな変化」を発見できた。
それは、呼吸一つで次の一手を読む、戦の立ち合いとよく似ていた。
世間の大きな変化に比べれば「それがどうした」と、誰も見向きもしないような変化である。それでも、サムライ熱血教師の彼にとっては、それが嬉しかった。
彼が向き合う生徒達は、仮に進学出来たとしても、学業を続けられるかどうか分からないような環境にいる。
やる気はあっても、本人の力だけではどうしようもない事情がある。世の中は、平等ではない。
サムライ熱血教師の彼も、経済難により大学院を中途退学した身である。生徒達の辛さと虚しさは、分かり過ぎる程に良く分かる。
幸か不幸か、人は苦境を潜り抜けてこそ人の痛みを知ることができる。
人々は悲しみを分かち合ってくれる友達さえいれば、悲しみを和らげられる ーシェイクスピア
そんな彼らの人生が、ほんの少しでも良い方に向うお手伝いが出来たなら、彼としては教員冥利に尽きる。
やれることは全てやろう。
そう心に誓ったとき、歴史がまた、ほんのちょっとだけ動いた。
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