教師が征く 世界の画窓から
アフリカの村から世界へと続く道
このシリーズは、アフリカ・ザンビアの農村部にある学校で奮闘したある漢(自称、サムライ熱血教師)の話である。
数学の授業では問題を早く解けた生徒から黒板に解答を書かせ、仮に間違っていたらヒントをやるか、「誰か助けたれや」とヘルパーを募集する。
ヘルパーが正解したらノートに「よくやった。お前はええ奴や」と書いてやる。
それが欲しいのか、本気で助けたいのか、生徒が黒板に群がり、凄い勢いでチョークの取り合いをする。
侍とは哀愁に浸ることは許されざる者。ただひたすらその一太刀に億千の心労を尽くすのみ。
“みんな変わってきたな”
と、涙がちょちょぎれそうになるのをグッと堪えた。
摩訶不思議な時間割の関係で、4時間連続で教えるクラスがある。生徒も疲れるため、2時間目が終わると、彼の持っているパソコンで海外の音楽動画を見せてあげた。
パソコンを覗き込む眼が、また麗しい。
アフリカの音楽とはかけ離れたリズム、ダンスやファッションのスタイル、想像もしたことがない風景。それらが生徒の感性を刺激する。
この時ほど、パソコンの画面が世界へ通じる窓となる、ということを痛感した日はない。
パソコンに慣れていないのは、生徒だけではなかった。
「ここは右クリック、それとも左?」
というレベルで、同僚の先生たちも聞いてきた。期末試験のテストの作成である。その学校でパソコンを並のレベルで扱えるのが彼だけなので、近頃はとても忙しかった。
図を挿入し、大きさを調整するだけで1時間以上かかったこともある。彼は代わりに行わず、口頭でやり方を教えるため、先生方としてはかなりイラついていただろう。
抜刀の瞬間が見えない居合の達人でも、最初は基本姿勢の鍛錬から始めたのだ。
石の上にも三年という。
しかし、三年を一年で習得する努力を怠ってはならない。-松下幸之助
サムライ熱血教師の彼にとっても、英会話の良き訓練となった。英語の上達は、彼の目標の一つでもあった。教育の向上に繋がるからだ。
彼は、彼しかパソコンを扱えないという、学校としては良好と言えない環境に、ある種の感謝のような念を抱いていた。
サムライの崇高な精神は、苛烈な鍛錬によって磨かれる。
彼は、学ぶ意欲のある同僚には丁寧に教えた。
切磋琢磨の精神である。
また一つ、武士道精神の種が、日本から遠く離れたアフリカの大地に植えられた。
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