俺は生ビールを2杯、桐岡は3杯胃に流したところで、お互い麦の水割りに切り替えた。記念すべき1杯目の麦を口に運ぼうとした時、俺の携帯が鳴った。竹田からだった
「おう、竹田か!大丈夫か!?」
「なんだ、うるさいな。もっと小さな声でも聞こえるよ」
「いや、お前、大丈夫か!?」
「大丈夫だからこうして連絡したんだ。大丈夫じゃなかったら連絡もできないだろう」
確かにそうだが、この時俺は、竹田との間にかなりの温度差を感じた。一先ず俺は、竹田の温度に合わせる事にした。
「そうか、大丈夫なら良かったよ。今は電話していて大丈夫なのか?」
質問をして後悔した。「大丈夫だからこうして電話しているんだ」との返答がくるのが目に見えたからだ。
「大丈夫だからこうして電話しているんだ」
一字一句誤りの無い、百点満点の返答だった。竹田は言葉を続けた。
「いやな、実はあの後意識を失ってしまってな。たまたま俺を発見した常連客が救急車を手配してくれたんだ」
「なるほど」
「病院に着いた頃には意識は戻っていたんだがな。今までずっと病室に警察がいてさ、事細かく経緯を聴かれていたんだ。嫌になるよ、まったく」
「そうなのか」
「でも安心しろ。ガキ共に客が1 人連れて行かれた、とは話したが、お前だとは言っていない。お前のほうこそ大丈夫だったのか?相手は7人いたんだろ」
「いや、途中で11人に増えたんだ」
「11人!?お前それ、もう1人増えたらサッカーチームが作れるじゃないか」
「どういう計算なんだよ。既に作れるだろ」
「ん?あ、サッカーは11人か。俺、やっぱり頭おかしくなったかな」
「知らないよ」
「で、お前は大丈夫だったのか?まあこんな感じで電話ができているって事は大丈夫だったんだな」
「ああ、いきなり救世主が現れてな」
俺は桐岡のほうをチラッと見た。桐岡は「フン」と言うような表情で、照れを隠すように水割りを口に運んだ。
「そうか、良かったよ」
「で、お前病院はどこだ?今から面会とかはできるの か?」
「もう警察も引き上げたし、俺の病室は個室だからな、いつでも来てくれて大丈夫だよ」
「そうか」
俺は竹田から病院と病室を聴き、携帯を閉じ、水割りを一気に飲み干した。俺の様子を見た桐岡も、水割りを空にして立ち上がった。
「安岡、ご馳走様!」
「なんだ、もう帰るのか」
「ああ、ちょっとな」
「竹田か?何があったか知らないが、お大事にと伝えといてくれ」
「ああ、わかった」
俺達は金を払って店を出た。
病院に着いた俺は、受付のおばさんに竹田がいる病室を聴いた。おばさんは丁寧に、且つわかりやすく教えてくれた。俺は礼を言って竹田がいる病室へと急いだ。
病室の扉を開けると、広々とした、綺麗な個室だった。ベッドに座りテレビを観ていた竹田が、俺達に気付き左手を挙げて言葉を発した。
「おう、本当に来てくれたのか。わざわざすまないな」
「いや、俺のほうこそすまない。とにかく元気そうで良かったよ」
竹田は右腕にギプスを付け、首にコルセットを巻いていた。鼻は青く腫れていたが、特に処置をした様子はなかった。
「そちらさんは?さっき言ってた救世主か?」
竹田は俺に聞いてきた。
「ああ、救世主の桐岡だ。桐岡、こいつがさっき話したたこ焼き屋の竹田だ」
2人はお互い目を合わせ、軽く会釈をした。
「ほらよ、差し入れだ」
俺はここに来る途中で買ったたこ焼きを竹田に渡した。本来、たこ焼き屋の経営者に他店のたこ焼きを差し入れするなんてのは失礼な話だが、俺と竹田の仲なら問題はない。
「またたこ焼きかよ」
「またって何だ?」
「いやな、お前に電話をする前、警察と入れ違いで何人か見舞いに来てくれたんだ。でもな、仲の良いやつに限って差し入れがたこ焼きな訳よ。まあ、冗談が通じる仲ってやつだな。おかげでたこ焼きを持って来てくれたやつはマブダチだと判断できたね」
「なら俺もマブダチだな」
「そう言う事になるな。あんまり腹は減ってないが 、頂くよ。ありがとな」
そう言うと竹田は蓋を開け、左手で爪楊枝2本を器用に使い、たこ焼きを1つ口に入れた。その時、竹田は尋常じゃない程に咳込み、口に入れたたこ焼きを吐き出した。
竹田は死にそうな表情で小刻みに首を振り、絞り出すような声で「水、水」と言う。俺が「スポーツドリンクしかない」と言うと「それでもいいから早くくれ」と言うような仕草で左手を伸ばす。
竹田が苦しがるのも無理は無い。持って来たたこ焼きには、俺がコンビニで買ったからしを大量に詰めていたからだ。俺はペットボトルのキャップを開け、苦しがる竹田に渡した。竹田は勢いよく口に含んだ。が、その瞬間全部吐き出しさらに咳込んだ。
竹田がさらに咳込むのも無理はない。俺が渡したスポーツドリンクのペッ トボトルの中身は、酢に変えていたからだ。
ベッドはドロドロに汚れ、部屋には酢の匂いが充満した。今度こそ俺は、キャップを開けていない正真正銘の水を、キャップを開けずに渡した。竹田は苦労しながら左手でキャップを開け、口に流した。それからもしばらくの間、竹田は咳込み続けた。少しの間竹田と会話をする事は不可能だと判断した俺と桐岡は、来客用の椅子に腰を掛け、竹田に背を向けてテレビを観賞した。
竹田の咳が止んだ瞬間、俺の頭部に衝撃が走った。振り向くと竹田が左手にスリッパを持っていた。どうやら俺は、スリッパで頭を叩かれたらしい。
「おう、元気になったか。良かったよ」
「お前はバカか!本当に!怪我はしてたけど元々元気は元気だったんだよ!」
「しかしあれだな、ほんと、死ななくて良かったな」
「死ぬところだったよ!お前のせいで!まったく、ここまでしたのはお前だけだ」
「ならマブダチだと実感しただろ。改めて」
「やり過ぎなんだよ、お前は!怪我人だぞ、一応!」
「まあ、命あって何よりだな」
「ふざけるな。て言うか、初対面だけど、桐岡も桐岡だ。こいつがこういう事をやろうとした時止めてくれよな。何が救世主だよ、まったく」
「いや、申し訳ない。こいつが『俺と竹田の仲なら大丈夫だ』って言うからさ」
竹田の口調はきつかったが、怒っている様子ではなかった。
俺と桐岡は汚れた布団をたたみ、ナースを呼んだ。やって来たナースに「食べ物をこぼして布団が汚れた」と説明し、布団を変え てもらうよう頼んだ。ナースは嫌な顔せず対応してくれた。
布団を変えてもらった後しばらく、3人で雑談した。竹田は3日程で退院し、その後は自宅療養になるそうだ。退院しても腕が治るまで営業はできないらしい
「神様が休めと言っているんだろう」なんて事を笑いながら言っていた。とにかく、右腕は折れているものの、竹田の怪我は大した事なさそうで安心した。
「じゃあ、ぼちぼち行くわ。気が向いたらまた来るよ」
俺は竹田に言って立ち上がった。桐岡も立ち上がり、丁寧に椅子を元の位置に戻した。
「もう来なくていい。て言うか、絶対来るなよ」
竹田は強気な様子で言ったが、どこか寂しそうでもあると感じた。
「あ、それとな、竹田。安岡がお大事にって言ってたぞ」
「そうか、ありがとよ」
俺と桐岡は竹田がいる病室を後にした。
1階の受付前を通 って病院を出た時、前田と会った。
「おう、前田」
「おう、何でこんなとこにいるんだ?」
「何でって、見舞いだよ、竹田の。お前もそうじゃないのか?」
「竹田?たこ焼き屋の竹田か?入院したのか?」
「ん?知らないのか。じゃあ誰の見舞いなんだ?」
「弟だよ。今日事故に合ったらしくてな、まあ大した怪我では無いんだが、念のための入院だ」
「そうなのか。俺も少し、付き合っていいか?」
「言葉はありがたいけどな。今日はちょっと、弟と話したい事もあるしな、すまん」
「いや、とんでもない。すぐ退院できるのか?退院したら、お祝いするよ」
「ああ、ありがとう。3日程で退院できると思う。ほんと大した怪我じゃないからな」
「そうか、良かった。退院したらまた、連絡くれよ 」
「おう、ありがとな。じゃあな」
前田は足早に病院へ入っていった。前田の表情はかなり疲れているようだった。俺は病院の中に向かって、前田の後ろ姿に向かって、叫んだ。
「前田!休める時は、休めよ!何かあったら、頼ってくれよ!」
前田は振り返らずに右手を挙げ、奥の方へ消えていった。
それから3日後、竹田は退院し、弟くんは、亡くなった。