連れて来られたのはミナミにある汚いクラブだった。店内は意外と広く、居酒屋のように椅子やテーブルは無いため、暴れるには充分な空間だ。
おそらく今は営業時間外なのだろう、客と思われる人の姿は無い。が、バカ共の連れと思われるバカが4人いた。これでバカの合計は11人となった。バカにも「人」と言う単位を使ってやったのは、せめてもの俺の優しさだ。
店内の中央でようやく、バカ共の汚い手が俺の腕や首から離れ、俺は久々に自由の身になった。
しかし正直俺は怖がっていた。11人はさすがにきつい。せいぜい2人か3人に重症を負わせる事が限界だ。その後はいいように袋にされるだろう。四面楚歌とはまさにこの事だ。
とりあえず俺は、怖がっている様子を悟られぬよう、 ゆっくりとそして堂々とマルボロに火を付け、煙を一口味わってから、ゆっくりと口を開いた。
「で、何の用だ?」
俺の質問に答ようとせず、バカの一人が右拳を俺の顔面に向けて振り回してきた。俺は咥えていたマルボロを右手の人差し指と親指で持ち、右拳を左に避け、バカの右目に火がついたままのマルボロを押し込んでやった。バカは両手で右目を抑えて倒れ、もがいている。運が悪くて失明、良くてもこの先一生右目だけで物体を捉える事はできないだろう。
さらにもう一人のバカが低い姿勢で俺に突っ込み、両手を俺の腰に回してきた。俺は右肘を大きく上げ、バカの背中の心臓裏辺りに全体重を乗せた右肘を勢いよく下ろしてやった。
バカの両手は力が抜けた様子で俺の腰からずれ落ち、両足へ下がっていった。俺は両手を振りほどくように一歩下がり、バ カの左耳に右足をぶち込んでやった。バカはそのまま大の字のように倒れ、動かなくなった。
しかし、どうやら俺の武勇伝はここで幕を閉じるようだ。俺は5人から一斉に飛び掛かられ、壁に押さえつけられた。この状況ではもう俺一人の力でどうにかできるものではない。せめてもの抵抗で何とか壁から離れる事はできたが、5人を振りほどく事はできなかった。
その時、俺の右後ろから何かが飛んでくるような気配があった。「ここまでか」と思った瞬間、俺を抑えていたバカ1人の左こめかみに、長い右足がぶち込まれ、バカがその場に倒れた。
他のバカ4人は驚いた表情になり、俺への力を緩めた。その時、後ろから「しゃがめ」と聞こえた。俺がしゃがんだ瞬間、今度は左拳が別のバカの鼻にねじ込まれた 。バカは両手で鼻を押さえて膝を付き、頭を自分の腹に当てるような姿勢で唸っている。
俺が振り返ると笑顔の桐岡が立っていた。桐岡は笑顔のまま、言葉を発した。
「よう、クソ親友」
「おう、助かったよ、クソ親友」
桐岡の後ろには、既に4人が倒れていた。
桐岡と俺は中学からの親友だ。当時俺はとあるジムで拳を磨き、桐岡は道場に通い空手を習っていた。お互い時間がある時は近くの河川敷に集まり、俺は桐岡に拳を教え、その反対に桐岡から蹴りを教わっていた。今でもよく「俺の拳とお前の蹴り、どっちが強いだろうな」なんて会話をした中学時代の思い出話を肴に酒を飲む事がある。
しかし俺は、中学卒業と同時にジム通いを辞めてしまった。そんな俺とは違い、桐岡は今でもずっと道場に通い続け、日々鍛錬している。ちなみに高校時代は極真空手の全国大会で3年連続優勝をしている。もちろん、道着を着る際に巻く帯の色は、黒色だ。
「何ほっとした顔してんだよ」
桐岡が言った。鏡を見た訳ではないが、きっとこの時俺は安堵の表情に満ち溢れていたのだろう。
「ああ、ついな。しかし何でお前がここにいるんだ?」
「親友ってのはいつでも急に助けに来るもんだろ」
「なるほどな」
「とりあえず、こいつら全員潰すぞ。お前、まだ動けるか?」
「おう、当たり前だ。クソ親友」
「そうか、良かったよ。クソ親友」
バカ11人全員にしっかり重症を負わせた後、俺と桐岡はクラブを出た。
俺は今までの経緯を話し、これからもう一度蛸ぎゃんぐに行ってみると伝えた。すると桐岡が「今日は暇だから付き合ってやる」と言ってくれた。俺達は小走りで蛸ぎゃんぐへ向かった。
道中、俺は桐岡に尋ねた。
「しかしお前、何であんな都合の良いタイミングで来てくれたんだ?」
「ああ、あれな。たまたまミナミを歩いていたら、遠くのほうでお前っぽいやつがガキ共に連れ去られているところが見えてな。それで必死に追いかけたんだ」
「そうだったのか」
「ああ、しかし途中で見失ってな。なんとなくこの店かなー、なんて思って適当に扉を開けたら、ドンピシャだったって訳よ 」
「なるほど」
「扉を開けたらお前が壁際で数人に押さえつけられていたからな、とりあえず助けようと思ったら他の4人が急に俺のほうに飛び掛かって来たんだ。理由ぐらい聴けって思ったんだけどな、面倒だったから全員やっちまうか、と判断したんだ」
「それは的確な判断だったな」
「偉そうに言うな。まああの状況で2人を倒していたのは褒めてやるが、日々の鍛錬をサボってばかりいるから、たかだが11人のガキにやられそうになるんだ」
「いや、普通11人は無理だぞ」
「お前ならいける、もう一度ジムに通え」
「お前の助言でもそれはお断りだ」
なんて会話をしていると、蛸ぎゃんぐが見えてきた。俺達は小走りをやめ、移動手段を歩行へと変更した。
店の前にはパトカーが停められ、その周りには野次馬が集まっている。どうやらあの後、誰かが竹田を発見し、警察や救急車を手配してくれたのだろう。だとしたら、落ち着いた後に竹田から連絡が来るはずだ。今はとりあえず関わらないほうが良さそうだと判断した俺は、桐岡に言った。
「おい、このまま通り過ぎるぞ」
「ああ、そのほうが良さそうだな。で、どこに行く?」
俺の脳は瞬時におろろへ行くとの決断を下した。
「じゃあ、おろろに行こう、クソ親友」
「おう、センスがいいな、クソ親友」
蛸ぎゃんぐを通り過ぎた俺達は、その足でおろろへ向かった。
俺はおろろの扉を開けた。扉を開けると、8席のカウンターがあり、扉から見て左側、カウンター席の後ろ側に6人が座れる座敷が2つある。内装はコブクロによく似ている。カウンターを挟んだ前にある厨房で、何かを煮込んでいた安岡がこっちを見て言った。
「まいど、いらっしゃい」
「おう」
俺は右手を挙げて返事をし、カウンター席の一番奥に腰を下ろした。まだ5時過ぎと言う事もあってか、店内に客はいなかった。俺に続き桐岡も、俺の右隣に腰を下ろした。腰を下ろすと同時に、安岡がおしぼりと突き出しを出してくれた。本日の突き出しは、蒸鶏とほうれん草のポン酢逢えに、ゆずの皮が散らしてある。
「寒いな今日も。一杯目は?」
安岡が言った。俺達は生ビ ールを注文し、箸を割り、突き出しを口に運んだ。うまかった。
「で、そのたこ焼き屋からはまだ連絡は無いのか?」
箸を置いた桐岡が心配そうに口を開いた。
「ああ、まだない。まあ死ぬって事は無いと思うが、入院は間違いないだろうな」
「そうか。まあ命に別状が無いのならいいが、心配だな」
「ああ、気が気でない」
「なのに酒は飲むんだな」
「飲まなきゃ落ち着かないだろ」
「お前はあれだ、アル中一歩手前だ」
「手前で良かったよ。末期じゃなくて」
「へい、お待ち」
俺と桐岡の話に割って入るように、安岡が生ビールを置いてくれた。俺達はジョッキを持ち、軽く合わせてから口へと運んだ。
「お前ら、太刀魚食うか?新鮮だから刺身でいけるぞ」
安岡が言った。
「太刀魚か、いいな。お前も食べるだろ?」
俺は桐岡に尋ねた。
「もちろん、頂くよ」
「じゃあ刺身で2人前、よろしく」
「あいよ」
太刀魚に続き、アジフライ、自家製餃子、激辛豚キムチを注文し、しばらく酒と料理を味わった。しかしその後、1時間経っても竹田から連絡は来なかった。