短編小説:マルボロ

17

コブクロの扉を開けると、ほぼ満席に近い状態だった。
10席あるカウンターの6席は埋まり、座敷にはサラリーマンと思われる6人が賑やかに酒と言葉を交わしていた。

「いらっしゃいませー!」

ノリの元気な声が店内に響いた。

「よう、まいど。相変わらず元気だな」

「あ、どうも。元気だけが取り柄ですから」

ノリと一言二言会話をしてから、生ビールを2つ頼み、空いてるカウンター席へ腰を下ろした。前田も俺に続き、俺の右隣に腰を下ろした。

「なんだ?今日は他の店はどこも休みか?」

厨房で忙しそうに手を動かしながら、藤原さんが言った。口調も態度も上機嫌だった。

「いえ、どうしてもまた白子が食べたくて。まだありますか?」

「ちょうどあ と2人分ある。お前、ほんと運がいいな。そちらさんは?」

藤原さんは前田のほうをチラッと見ながら、俺に聞いてきた。

「友達の前田です。なんか、俺に相談があるらしいです」

俺は笑いながら言った。

「はじめまして、前田です」

前田は少し緊張した様子で頭を下げた。

「どうも、藤原です。前田くん、こいつ以外にもっとましな相談相手はいなかったのか?」

忙しそうではあるが、藤原さんは常に上機嫌だ。

「はい、今日の相談はこいつが最適だと思ったもんで。他の相談なら他のやつにしますけど」

「そうかそうか。まあ、こんなやつにでも最適な相談ぐらいあるわな。やかましい店だけどゆっくりしていっておくれ」

俺達と藤原さんの会話を遮るように、ノリがおしぼりと生 ビールを持って来てくれた。

「お話中失礼します!おしぼりと生ビールです」

相変わらず元気な声だ。距離によっては鼓膜が痛くなる時もあるが、聞いていて気持ちがいい。

「ああ、ありがとう」

「ご注文はどうしますか?」

「適当に出してくれ。どうしても食べたい物があったらそれはそれで注文するよ」

「承知しました!ごゆっくり!」

再びノリの声が店内に響いた。

俺と前田はジョッキ持ち上げ、軽く合わせてから各々のペースで体に流し込んだ。

ジョッキを置くと同時に、藤原さんが白子を2人分俺達の前に置いてくれた。
俺達は箸を割り、早速口へと運んだ。うまかった。

白子に続き、鶏の刺身、あん肝、枝豆等、藤原さんとノリが適当に置いてくれた。

俺と前田はしばら くの間、ビールと料理を味わった。

18

「で、相談て何だ?」

お互いのビールが2杯目になったタイミングで、俺は前田に質問した。

「ああ、弟の事なんだけどな」

「フリーターの弟くんか。元気か?」

「まあ今一緒に住んでいる訳じゃないから進捗状況は知らないが、元気は元気なはずだ」

「何よりだな。で?」

前田は右手で枝豆を取り、話を続けた。

「お前さ、この前のボヤ、知ってるか?」

一瞬、藤原さんとノリの視線がこっちに向いたように感じたが、気にせず前田の話を聞く事にした。

「ああ、知ってるよ」

「間違いなく放火だろうと思うんだが、その犯人捕まると思うか?」

「どうだろうな、俺は警察でもなければ探偵でもない。わからないね」

「そうか。お前なら何か知ってる かと思ってな」

「まあ、全く何も知らないって訳じゃないが、どうしてだ?まさか弟くんが関与しているのか?」

「いや、実はな、どうやら俺の弟が疑われているらしいんだ」

「警察にか?」

「ああ。弟のバイト先や家に来て、事情聴取みたいな事を何度かされたらしい。もちろん、名目は任意の参考人としてだそうだが、弟はだいぶまいってる」

「で、弟くんが犯人なのか?」

「そんな訳ないだろ。弟だから信用している、なんて理屈じゃないぞ。ボヤの日、弟は実家に帰っていたんだ。親父はもう亡くなったけど、おふくろは健在だ。実家で一人暮らしをしているおふくろに会いに、帰ってたんだ」

「ならそれがアリバイってやつになるんじゃないのか?」

「それがな、実はおふくろが弟と の約束の日を勘違いしていてな、弟が帰省した日は町内会の連中と温泉旅行に行ってたらしいんだ」

「ほう、なるほど」

俺はマルボロに火をつけた。

「実家に帰った弟は、心配してすぐおふくろに電話したんだと。その時に、帰省する日を勘違いしていたという事がわかったんだ。だからその日、弟はおふくろに会っていない。つまり弟には全くアリバイが無いって事だ」

「おふくろさんに帰省する日を伝えたメールとかは残っていないのか?弟くんの携帯に」

「おふくろは古い人間だからな、やり取りはメールじゃなくて全て電話なんだ」
前田はずっと右手に持っていた枝豆を口に入れ、2、3回噛んでから生ビールを体に流し込んだ。

「なるほど。で、何で弟くんが疑われているんだ?何か理由 があるんだろ」

「それがな、ボヤの日に怪しいやつを見たって言う情報が何件か警察に入ったらしいんだ。その怪しいやつに弟が酷似しているんだと」

「・・・なるほどね」

「そこでだ、お前の力で、何とか犯人を捕まえてもらう事はできないか?」

「ちょっと待て、俺は警察じゃないんだぞ」

「そんな事は知ってるよ。もちろん探偵でもない事も知ってる。でも、お前ならミナミについて詳しいし、顔も広いだろ。だから、犯人を捕まえる事は無理だとしても、弟の無実証明に繋がる何かを・・・頼むよ」

俺は自分が吐いたマルボロの煙を見つめながらぼんやりしていた。もう一口、マルボロの煙を肺に入れ、火を消し、煙を吐いてビールを体に流し込んだ。

「と言う訳で、少し力になってくれ。こ んな事を頼めるやつはお前しかいないんだ」

前田は俺に深く頭を下げた。友達から頭を下げられるってのは、些か心が痛むものがある。

「わかった。できる限り、情報を集めてみる。弟くんの顔がわかる写真なんかがあれば、念のため俺の携帯に送っといてくれ」

「ありがとう。ほんと、ありがとう。よろしく頼む」

顔を上げた前田の目頭は、うっすら潤っているように見えた。

「すまん、俺もう出るわ。弟の家に行ってみようと思うんだ」

「そうか。まあ心配だからな。気をつけてな」

前田はジャンパーを羽織り、財布から金を出そうとした。「今日は出しておくからその金で弟に何か買ってやれ」なんて事を言おうとしたが、前田に変な気をつかわすと思い、出そうになった言葉を飲み込んだ 。

前田は財布から出した夏目漱石を3人、俺に渡して出て行った。

扉が開いた瞬間、店内に冷えた空気が漂った。

19

俺がカウンターでぼんやりしていると、藤原さんがエイヒレの炙りを置いてくれた。

「少し聞こえてしまったが、なんだか大変な事になったな」

「そうですね。どう思います?」

「どうって、何がだ?」

「前田の弟です」

「聞こえてきた限りでは、前田くんの話に嘘はないと思う。弟くんが前田くんに嘘をついていない限り、信じていいんじゃないのか?」

「まあ、前田は俺に嘘なんてつかないんでね。全面的に信じようとは思っていますよ」

「じゃあ、何についての『どう思います?』なんだ?」

「いえ、自分でもよくわからないです。エイヒレ、頂きます」

俺はエイヒレを手に取り、両手で小さく裂いて、口に入れた。

「で、おかわりは?」

藤原さん が言った。ジョッキに目をやると、指2本分しか残っていなかった。

「そうですね、じゃあ、燗、お願いします。熱めで」

「ほーう、珍しいねえ」

「ですよね」

20

しばらくあれこれ考えながら、1人で飲んだ。考えていた内容はこうだ。

一つ、前田が弟くんに嘘をつかれていて、本当は弟くんが犯人である。

一つ、犯人が弟くんに罪を着せるため、弟くんに成済まして犯行に及んだ。

一つ、犯人は全くの別人で、たまたま弟くんが疑われている。

一つ、冬がこんなにも寒いのは、地球の地軸が傾き過ぎているせいだ。

一つ、この後フラワーにでも行ってみようか。

一つ、用は無いが高畑みきに連絡してみようか。

一つ、久々に博子を誘ってみようか。

どうやら俺は、重大な相談を持ちかけられた事に加え、前田が帰った後1人で飲んでいたせいもあり、かなり寂しがっているんだと言う答えに辿り着いた。

気が付けば、座敷に いたサラリーマンの姿はなく、カウンター席には俺以外に2人しかいなかった。その時、俺の携帯が鳴った。前田からのメールだった。

〔今日はありがとう。相談した件、よろしく頼む〕

との文面と、弟くんの写真が添付されていた。

〔おう、任せろ〕

と返信した。返信したはいいが、何から手をつけていいのかよくわからなかった。その時、また俺の携帯が鳴った。長野からだった。

「申す申す」

「なんだ、えらく疲れているな。声が終わってるぞ」

「終わってなんかいない。これから始まるんだ」

「何の話だ」

「まあ色々あってな」

「そうか。今仕事終わったが、もう一軒行けそうか?どうせ今も飲んでいたんだろ」

そうだ、今日は長野と飲む約束をしていたんだった。俺はこの 後友達と飲める事を、心から喜んだ。

「おう、もちろんだ。今ミナミにいるんだが、何時頃に来れそうだ?」

「俺も今ミナミだよ。どうせお前はミナミにいると思ったからな」

「さすがだな。じゃあこの後、カシュカシュでどうだ?」

「あの洒落たバーか、いいよ」

俺は携帯を閉じ、燗を空にして立ち上がり、コートを羽織った。

「なんだ、急に元気そうな顔になったじゃないか」

藤原さんが言った。

「はい。この後長野と飲むんですよ。ほら、今日の昼に連れて来た大スポの記者の」

「ああ、長野くんね。良かったじゃないか」

俺と藤原さんの会話に割って入ってくるように、ノリが言葉を発した。

「あの、ちょっといいすか」

ノリは俺の顔を見ながら言った。

「おう、どうし た」

「その弟さんの写真、ちょっと見せてもらえないですか?」

この言葉で思い出した。ノリはボヤがあった日、犯人らしき人物を目撃したと聞いていた。

「ああ、これだ」

俺は携帯を渡し、弟くんの写真をノリに見せた

「どうだ?目撃したやつに似ているか?」

「正直、目撃したやつの顔ははっきり見えなかったんですけど、こんな感じのやつだったと思うんですよね」

「そうか・・・」

「いや、でもほんと、顔はわからないですよ」

「ああ、わかってるよ。ありがとな」

「へい!」

またノリの元気な声が店内に響いた。少しだけ、左の鼓膜が痛かった。

俺は金を払って店を出た。

 

Page: 1 2 3 4 5 6 7 8 9 10 11 12 13 14

World Citizen