空手ボーイNは続けた。
「人は、見た目で判断します」
私は答えた。
「そんな連中は、空手ボーイNという物語に、名を連ねる資格がない」
「物語の資格ですか?」
「黙れ」
「はい」
私は、少し話し過ぎたような気がしてきた。そろそろ練習に戻ろう、そう思った。
しかし、私の言葉は止まらなかった。これも彼らの純粋さが引き出したものかもしれない。
「お前らは、計り知れない可能性を持っている。それこそ宇宙規模のな。そしてそれは、人種で制限されるようなものではない。それをまず、お前らが受け入れろ」
「はい、センセイ」
「人の可能性には、光と闇がある。つまり、お前らの人生は良い方向にも、悪い方向にも、無限に拡げていくことができる。お前らの人格が、その道しるべとなる。その美しい黒い肌ではない。それも、心に刻んどけ」
「刻みました」
「お前、人は見た目で判断するってゆうてたな?」
「はい」
確かに、人は外見で判断する。
しかしそれは、常識という色眼鏡をかけてしまった人たちだ。判断される側の生まれ持った美に、汚点はない。賢者は外見ではなく、振る舞いで判断する。
私は言った。
「厳密に言うと、お前の振る舞いが評価される。人格が、振る舞いに現れるからな。謙虚な振る舞いは、人を惹きつける」
「はい」
人は、周囲の人間よりもほんの少しだけ高い地位、財産を得ただけで、威張りたがる傾向がある。
誰もが、その可能性を持っている。何故なら、権力の魔性は、とてつもなく強いからだ。たからこそ、どんな状況でも威張らない、謙虚な人間は誰からも賞賛される。
「王者の風格を持った謙虚な漢になれ。空手が、その手助けになればと、俺は思っている」
「はい」
「お前ら空手ボーイズが世界に旅立つ日が来れば、人種を越えて、最高の仲間を作れ。いつかお前が自分の物語を綴るとき、絶対に連ねたい名前が出てくる。お前らが俺のそうであるようにな」
劣等感を乗り越えることは容易なことではない。私もそうである。学生時代やアフリカにいた頃とは桁違いの所得を得ている今でも、自分は恐らく貧乏なのだろうと思っている。
社会人になっても、靴は革靴、サンダル、スニーカーの3セットしか持っていない。500円以上するシャツや下着は購入したことがない。冬のジャケットは、4年前に買ったものがあるだけだ。
私は、27年間ずっと貧乏だったのだ。自分はどこから来たのか、それはこの先もずっと忘れないだろう。
私は、祈りに似たような気持ちで話した。
「いつか俺は、お前らとの物語を、世界中の誰かに届けたいと思っている。それくらいの価値がある。アインシュタイン博士は「成功者になるのではなく、価値のある人間になりなさい」と言ったが、お前らは、天然でそれを分かっている」
「どこの誰に話すつもりですか?みんな、笑いものにすると思います」
「どこの誰かは分からない。分からなくても良い。お前らの価値が分かる人に届けば良い」
空手ボーイズの眼が、いつもより輝いて見えた。
・第一弾「空手を教えてください! – アフリカの空手ボーイズ」
英語版「Teach me Karate! – African Karate Boys」
・第二弾「アフリカの空手ボーイズ奮闘記 – Karate is for self-defense」
英語版「Karate Boys in Africa – Karate is for self-defense」
この記事の英語版はこちら / English version