このシリーズは、アフリカ・ザンビアの農村部にある学校で奮闘したある漢(自称:サムライ熱血教師)の話である。
昨晩、サムライ熱血教師の彼は数ヶ月振りに日本語で会話をした。
祖国を同じくする友と会っていたのだ。
気が付いたときには、既に4時間ほど経っていた。
余りにも楽しかったのだ。
母国語で話し、笑うことの開放感を初めて感じた。
これまで、そんなことを考えたことすらもなかった。
まるで空気や水のような、当たり前過ぎて気付きもしない、大切なことだと気付いた。
信じられないような本当の話だが、数か月振りに日本語を話そうとしたとき、言葉がすらすら出てこなかった。
二刀流の達人が、一刀流の初心に戻るとき、その太刀筋に僅かな乱れが見られるようなものである。
一方で、それは己の怠慢を物語っていた。
日頃から日本語も英語もチェワ語も等しく使いこなす鍛錬を続けていれば、そのようなことは起きなかった。
むしろ母語ほどその質を高めた方がいい。何故なら母語はあらゆる第二言語の基礎となるからだ。
第二言語の腕前が母語を超えることは、まず有り得ない。
大切なことを、二つも気付かされた。
大学院を途中で辞めてから、ザンビアに来るまで、彼はどこか廃れていた。
何かを諦めてしまったような人や、何かと批判をする人にばかり、目が付くようになっていた。
恐らく、心が廃れていたのだろう。
それが嫌だった。
世界の見え方など、見る者の眼によってどうにでも変わる。
彼は、自分の眼が曇っていることに気付いていた。分かっていても、どうにも出来なかった。
それが弱さだと思っていた。
生まれたての赤ん坊は、母の腕の中で、ただただ幸せなのである。
しかし何時しか人は色眼鏡を掛けはじめる。心のありようで、どうにでも色が変わる眼鏡だ。
「俺はいつから曇り深き眼鏡を掛けるようなったのか?」
そんなことを悶々と思索する日が続いていた。
しかし、アフリカに渡って以来、それが無くなった。
それなりの目標を持ち、それに向かって地道な努力を実践している人に目が付くようになった。
彼が昨夜話した相手もその一人だった。
結局それは、彼がそうゆう眼を持つようになっただけのことであった。
「アフリカでの質素な生活が俺を変えたのか?」
友との語らい後、彼はそんなことを考えていた。
私は我が運命の支配者
我が魂の指揮官なのだ