短編小説:マルボロ

9

ミナミに着いた俺はすぐにでも放火現場を見に行きたかったが、その前にやる事がある。そろそろ今週の生活費が切れそうなのだ。俺はミナミのホテル街にある山田ビルの9階へ足を運んだ。ここはミナミ唯一の裏カジノ店だ。

「おう、兄ちゃん。そろそろ来る頃かと思ってたよ」

俺に話かけてきたのは、いつもお世話になっている男性で、この店のオーナーだ。名前は知らないが、年齢は40代だろう。ビシッとした黒ズボンに虎と龍が描かれてあるスタジャン、純金のネックレスにダイヤの指輪。体格は約180センチのがっちり型。パンチパーマにサングラスが特徴だが、ヤクザかどうかは、俺は知らない。

「どうも、こんにちは」

「兄ちゃんが来ない日はいっつも3人打ちよ。 やっぱり麻雀は4人打ちのほうが楽しいからな」

「そうですね。今日もよろしくお願いします」

あとの2人も名前は知らないがお世話になっている男性方だ。年齢はオーナーの男性と同じく40代だろう。1人はいつもスーツ姿でもう1人はいつもジャージを着こなし、2人とも指輪やネックレスを毎日愛用している。俺の知識と記憶が正しければ、同じ物を身に付けている日を見たことがない。おそらく、数えきれない程の指輪やネックレスを持っているに違いない。

ちなみにこの2人もパンチパーマにサングラスが特徴であるが、ヤクザかどうかは、俺は知らない。

「今日は何時間ぐらい打てるんだ?」

オーナーの男性が聞いてきた。

「すみません、今日は1時間程しか」

「そうか、忙しいんだな。顔を出してくれただけで嬉しいけど、たまにはもっとゆっ くりしていってくれよ」

「はい、次は是非」

「ほんとかよ。ハハハ」

オーナーの男性とスーツの男性、ジャージの男性は機嫌よく笑った。


10

店を出て札を数えた。結局この日稼げた金は約20万円。一週間の生活費にしては少ない気もするが、仕方がない。次回はゆっくり遊ばせてもらおう。

ちなみに今の店で俺は負けた事がない。3人とも金は持っているが、正直言って麻雀は俺のほうが遥かに強い。勝てないとわかっておきながら誘ってくれるのは、有り余っている金を俺のような若者に気前よく振る舞う事が楽しいのだろう。と俺は勝手に解釈している。

スーツの内ポケットに金を入れ、コートのポケットに両手を突っ込み、背中を丸くしてボヤ現場へと向かった。

11

現場に立っている電柱や地面のコンクリートは黒く焦げていたが、警察や黄色のビニールテープはなく、いつもと変わらない様子だった。

付近には昼から営業している居酒屋や、開店準備をしている居酒屋がいくつもあり、その居酒屋一軒一軒に雑誌や新聞の記者と思われる人が入れ替わり立ち替わり入っては出て入っては出ての繰り返しが続いていた。どの居酒屋からも聞こえてくる言葉は同じで「うるせえ、帰れ」だけだった。そらそうだろう。営業中や準備中に来られても迷惑なだけだ。居酒屋の店主の気持ちがよくわかる。そんな中、一軒の居酒屋から出てきた長野と目が合った。

「おう、長野」

「おう。何してんだ?」

「昨日シュプロスの浜村から、ボヤ騒ぎがあ ったのはこの辺りだって聞いてさ。少し気になったから来てみたんだよ。お前は?」

「俺は仕事でだよ。全く、営業中や準備中に聞き込みに行っても迷惑なだけだろうって思うんだがな。上が行けってうるさくてよ」

「大変だな、お前達の仕事は」

「全くだよ」

「で、結局何か有力な情報は得られたのか?」

「そんな訳ないだろ。どこの居酒屋も『うるせえ、帰れ』だもんよ」

「だろうな、外まで聞こえてたよ」

「他の記者連中はぼちぼち帰るんじゃないか?俺もそろそろ諦めて帰ろうと思ってたところだ」

「そうなのか。なら、一軒付き合えや」

「は?暇人のお前と違ってこっちは仕事中なんだよ」

「お前な、例えば、このまま素面で帰ったが何の情報も無いパターンと、少しアルコー ルは入っているが有力な情報を持って帰ったパターンの、どっちが評価されると思う?」

「いや、情報を得るほうが良いが、仕事中にアルコールはな」

「考えてみろ、聞き込みをしているのは居酒屋だ。店主に有力な情報をやるから一杯飲んで行けと言われたら断れなかった、とでも言えばいいんだよ」

「何だお前、情報を教えてくれそうな居酒屋があるのか」

「ああ、そう言う事だ。どうだ、付き合うか?」

長野は目をつむり、数秒考えた後に険しい表情で答えた。

「仕方ない、付き合うよ。その前に上司にメールだけしておくよ」

「どうぞ、ご自由に」

俺はにっこりと笑った。

12

俺はコブクロの扉を開けた。扉を開けると10席のカウンター席があり、左側には6人程が座れる座敷がある。玄関から見て右側、カウンターの向かいにある厨房の中で、藤原さんは仕込みを続けながらこっちを見ずに言った。

「まだ準備中だ。記者なら帰れよ」

「こんにちは。俺です」

藤原さんはこっちを見た。

「おう、お前か。どうした、こんな昼間から」

「藤原さんの顔が見たくてね」

「気持ち悪い事を言うな。そっちは?」

「ああ、たまたまそこで会ったんです。俺の友達です」

「長野と申します」

長野は頭を下げ、丁寧に挨拶をした。

「どうも、藤原です。見た事ない、かな?」

藤原さんは俺のほうを見ながら自信なさげに言った。

「そうです ね、今までこいつを連れてきた事はないですね」

「そうだよな。いや、最近記憶が曖昧でな。たまに常連客の名前も忘れちまう事があるんだよ。ははは」

「それは笑い事じゃないですね」

俺は笑いながら言った。

「まあ座れよ」

「ありがとうございます」

俺はカウンターに腰を下ろした。俺に続き、長野も俺の右隣に腰を下ろした。

「で、何か飲むか?」

「じゃあ麦の水割り、2つお願いします」

「あいよ」

藤原さんは仕込みの手を止め、麦の水割りを作ってくれた。作ってくれた水割りと、スライスレモンを数枚乗せた小皿、タラの白子ポン酢を入れた小鉢を2つ、俺達の前に置いてくれた。

「ありがとうございます」

俺はスライスレモンを一枚グラスに浮かばせてから、水割りを 一口体に流し込んだ。

「この白子、うまいぞ」

そう言いながら、藤原さんは割り箸を2膳俺に渡してくれた。

「いただきます」

割り箸を一膳長野に渡し、もう一口水割りを口に含み、ゆっくり体に流した後、箸を割って白子を頂いた。うまい。

「どうだ?」

「うまいです、本当に」

「そうだろそうだろ。いやー、今日のは特別良い白子だ。お前、運がいいな」

藤原さんは上機嫌な様子で笑った。そして、麦のボトル、水が入ったペットボトル、氷を満タンにしたウォーターポットとトングを俺達の前に置いてくれた。

「ちょっと仕込みがあるからな、飲み物は自分達で適当にやってくれ。飲んだ分はしっかり金取るから、遠慮せず飲んでくれよ」

「すみません、仕込み中に。ありがとうご ざいます」

「ああ、ほんと迷惑だよ。ははは」

藤原さんは上機嫌だった。

「ところで藤原さん、やっぱりボヤの件で記者がよく来るんですか?」

俺は聞いた。その瞬間、藤原さんの表情が上機嫌ではなくなった。

「うん、ずっと来るよ。もううんざりだ。別にボヤがどうとか、どうでもいいと思うんだがな俺は」

確かにそうだ。藤原さんの言う通り、たかがボヤでこれだけの記者が集まるのはおかしい。ふと長野の顔を見ると何とも言えない表情をしていた。何とも言えない表情ではあるが、何とか表現してみると、顔は20度ぐらい下を向き、遠くを見てるような目と、少しだけへの字に結んだ唇。何かを考えているような思い出しているような、そんな表情だ。

「どうかしたか?」

俺は長野に 尋ねた。

「うーん、まあ、お前ならいいか」

長野は水割りを一口含み、体に流してから続きを話しだした。

「いやな、実は世間には報道されてはいないんだが、ボヤがあったのはここだけじゃないんだ」

「え、そうなのか?」

俺と藤原さんは顔を見合わせた。

「いつ、どこであったんだ?」

「場所はミナミとキタ、ここ2ケ月で3件。ここのボヤを含めると4件だ。その全てがごみの不審火。ただ、今までの現場は近くに一台も防犯カメラがなくてな、仮に放火だったとしても犯人を特定できる可能性は極めて低い。そんな中、4件目がここだろ。ここは防犯カメラも多いし深夜まで営業している居酒屋も多いから、犯人特定に繋がる情報を得られる可能性が極めて高い。だからみんな必死になっ て聞き込みをしているんだ」

「なるほど」

「これはあくまでも憶測だが、おそらくこの4件の犯人は同一人物だろう」

「なるほどね。藤原さんは、この件で何か知っている事ありますか?」

藤原さんは仕込みを続けながら答えてくれた。

「俺はボヤがあった日、その時間も営業しててよ、ちょうどノリ、ほら、うちの若いのな、あいつに煙草のお使い頼んでる時にボヤがあったんだ。ノリがお使いから帰ってくる時ごみが燃えててな、俺は店内にいたから直接見た訳じゃないんだが、既に数人が消化器で火を消そうとしていたらしい。その時、少し離れたところからじーっと現場を見ているやつがいたらしいんだ。ノリはその怪しいやつを追いかけようとしたが、相手のほうが察知能力が高かったんだな 。ノリの視線を感じた瞬間走って逃げたらしい。俺が知っているのはこの程度だな」

「そうなんですか。貴重な情報ありがとうございます」

長野がメモを取りながら言った。その時俺は、藤原さんに長野の職業を言っていない事に気がついた。

「藤原さん、こいつ、大スポの記者なんです」

「え、そうなの?まいったな」

「すみません。言うのを忘れていました。もしかして、記者には言いたくなかった情報でしたか?」

「いんや、そんな事もないけどな。ただ話すのが面倒だから他の記者は門前払いしているだけだ。お前の友達なら、長野くんならいいよ」

「だってさ、長野。よかったな」

「ありがとうございます」

長野は藤原さんに、深々と頭を下げた。

「さて、話は終わりだ。もう 一品、何かつまむか?」

「是非、お願いします」

藤原さんはずっと弱火にかけていた鍋から何かを皿に盛り、俺達の前に置いてくれた。

「ほらよ、うまいぞ。まあ昨日の残りだけどな」

おでんだった。

「特に大根がいい、味が染みてうまいはずだ。まあ昨日の残りだけどな」

「いただきます」

俺も長野も大根から頂いた。うまい。

結局その後もしばらく飲み続け、お礼を言い金を払って店を出た。

時刻は夕方の4時になっていた。

13

「で、お前会社に戻るのか?」

「そうだな」

「結構飲んだけど大丈夫か?」

「お前が気を遣って毎回薄めの水割りを作ってくれてたから大丈夫だよ。おかげでちっとも酔っていない」

「そうか、何よりだな。仕事は何時までだ?その後もう一軒付き合えよ」

「そうだな。今日はお前の誘いを断れないしな。仕事が終わったら連絡するよ。もしかしたら、少し遅くなるかもしれない」

「何時でもいいよ」

「暇人だもんな」

「うるさいよ」

「じゃあ、また後ほど」

長野は西日へ向かって消えていった。冬の西日は眩しい。そのせいで長野を最後まで見送る事ができなかった。まあ、西日であろうが朝日であろうが白夜であろうが、最後まで見送る事はないのだが 。

さて、カシュカシュへ行くにはまだ早い。どこへ向かうか悩んだ結果、俺の脳は蛸ぎゃんぐへ行くと言う答えを出したようだ。

よし、行くとしよう。

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